夜明けはいつになりますか

ゲーム畑在住アラサーオタク女、ニートからの社会復帰一年生による思考記録。

surface3を修理に出してみた話

 一年間使用してきたsurface3を修理に出し、それが無事に帰ってきた。帰宅直後のテストがてら、この記事を書いている。

 実はこのsurface3、バッテリーに初期不良があって、長らく騙しだまし使ってきたのだ。初期不良かな?と思ったら、皆さんと今後の僕は、早めにお店に持って行くかサポートに問い合わせをしましょうね。

 修理の申し込み手順は肩透かしに思えるほど簡単だった。購入直後にマイクロソフトアカウントへの登録は済ませてあったため、マイクロソフトサポートにログインして【アカウントの管理】から該当製品を選択、修理関連の項目を選択。エージェントのサポートを無視して(物理的な故障だから不要だろうとの独断だったのだが、良かったんだろうか?)問答無用で【修理のためにsurfaceを送る】を選ばせてもらった。
 あとはここで表示される送り先住所に製品を送るだけ。画面の割れは有償サポートになるとのことなので、郵送中に事故が起こらないよう丁寧に梱包した。

 surface3はバッテリーの取り外しが出来ない都合、おそらく交換だろう、と予想はしていた。案の定と言うべきか、発送から僅か三日で代替品が届いた。OSが何の断りもなくWindows10に変わっていた点も、まぁ予想通り。

 こいつは元々、Windows8が使いたくて駆け込みで買ったモデルだったりする。しかしマイクロソフトが旧バージョンOSのタブレットのサポートを打ち切ると発表したこと(滅茶苦茶だとは思うが仕方がない)、僕がタブレットでするような簡単な作業はindows10でも問題なく出来ると分かってきたことから、この際まぁいっか、と実験感覚で修理に出させてもらった。修理内容記入の欄に「OSを変えないで下さい」と書いたらどうなっていたのか、それはそれで気になる今日この頃。交換用のWindows8製品なんかもうないだろうし。

 今度こそ何の不具合もなく、長く使えるといいな。

体育嫌いの正体を考える

 僕は学生時代を通じて、体育の授業が嫌いだった。クラス替え直後のレクリエーションの球技や、小学校の休み時間のドッジボールも大嫌いだった。

 そんな僕が最近、スポーツジムに通っている。
 元ヒキコモリの肉体改造は結構大変で、仕事帰りにジムに寄りたくても体を鍛えに行く体力がないというコメディみたいな状況になった。仕方がないので土曜日の午前中になるべく用事を済ませ、夕方にジムに行き、そのまま帰宅して崩れ落ちる、日曜日は疲労回復に充てるという週単位の生活リズムを形成した。
 最初の頃はすぐに息が苦しくなるし、体は冷たいままなのに水のような汗を大量にかくのが気持ち悪くて仕方がなかった。
 それが今では、息が上がってからもそこそこ動けるようになり、運動すると普通に体が温まる。マシンを扱える時間が少しずつ長くなっているのが嬉しい。くたくたになるまで体を動かしてぐっすり眠るのも気分がいい。

 ここで僕は、「自分はスポーツが嫌いだ」という認識を改めることになった。

 じゃあなんで体育が嫌いだったのかと考えてみると、運動とは微塵も関係のない要素が嫌いだったのだ。
 たとえば、体育の授業では多くの球技を扱う。しかし僕はモノに対する距離感が希薄で、ボールをうまくキャッチすることが出来ない。顔面キャッチは漫画の定番ギャグであるが、ソフトボールが左眼球に直撃して失明しかけたともなれば、嫌いになって当然である。
 人に合わせて何かをするのは苦手だし、練習しているところをクラスメイトにじろじろ見られるのも嫌だ。
 自分が負けるのは楽しくないが、勝ったところで負けた相手の手前嬉しそうにするのも気が引ける。相手のミスで得点した時にガッツポーズをする人はどういう神経をしているのかと常々思っている。
 こういう思想の主は、日本の競争的体育教育システムとはすこぶる相性が悪い。運動そのものは嫌いじゃなくても、運動に付随する要素が嫌いであるがために、「自分は運動が嫌いだ」と思い込んでしまうのである。

 そう考えれば、僕はレクリエーションのスポーツが嫌いだったわけじゃない。親しくもない人といきなりチームを組まされ、馴れ馴れしくハイタッチなどさせられるのが嫌だった。それをやらないと浮いてしまう空気も嫌いだ。
 休み時間のドッジボールも然り。自由にしていいはずの時間に、運動場に拘束されて大好きな読書が出来なくなるのは理不尽である。

 誰にも関心を向けられることなく、誰とも競うことなく、ただ自分の肉体とだけ向き合って高めてゆく。
 成人して、知り合いの一人もいないジムに入って、僕はようやくそういう運動の仕方が出来るようになった。運動を好きだと思えるようになった。

 思い込みによって嫌いになってしまっているものが、きっと他にも沢山あるのだろう。嫌いなものは嫌いで構わないが、好きなものを少しずつ増やして行けたら、人生は楽しいものになりそうだ。

元ニートの労働条件の軌跡

 このブログは「脱ニート 人が怖い」で検索すると上位に表示されるようだ。僕も元ニートとして、現役ニート諸君の健闘と幸せを祈っている。

 さて、今回は僕が働き始めてからの労働条件なんかを書いてみようと思う。きっと上記のようなキーワードで検索してくる人は精神的にも現実の制度上でも手がかり足がかりを模索しているのだろうから、何かの参考になれば幸いである。昨日の記事はそのための下準備だったり。

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元ニートがCADオペ向きだと思った理由

 どうしてコミュ障でヒキコモリの自分がCADオペに向いていると思ったのか? 今回はそれを書いてみようと思う。過去のエントリと重なる部分も多分にあるが、お許し頂きたい。

 と、その前に「CADオペって何よ」という説明をしておこう。
 CADというのは「コンピューター上での設計を手伝うソフト」。かつては鉛筆と定規で書いていた機械や建築物の設計図を、PCを用いて、より早く、正確に、美しく書けるようにするソフトウェアだ。
 CADオペレーターとは、このソフトの操作を主な業務とする人のことを言う。設計担当者は別にいて、CADオペは彼らの指示を受けてPCの操作を行う。自分で設計を行うわけではないから、畑違い学部の卒業者・完全未経験にも門が開かれている。
 労働条件は事務所によってピンキリだ。機械製造と建築では業界自体が違うし、性格も異なる。僕は専ら建築のお世話になっているので、情報が偏る点についてはご了承頂きたい。

 ちなみにどのお仕事にも悪いところはあるわけで、僕の目から見ても「ここは良くない」と思うポイントも記事の末尾に挙げておく。



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ドルチェグストの自宅導入を考えてみた

 僕の今の職場には、ドルチェグストのマシンがある。専用のマシンにカプセルをセットしてボタンを押すと、お店並みのコーヒー飲料がカップに注がれるという代物だ。
 マシンはネスレ公式からのレンタルも出来るし、買うことも出来る。僕の勤め先に置かれているのは、法人名義でのレンタル品である。

 使ってみるとことのほか便利で、自宅にも置きたくなってしまい、考えを整理するためにこのエントリを書いている。

 まず、味はコーヒーショップのものと比べても遜色がない。少なくとも僕の貧乏な舌では、同じくらい美味しいと感じる。水分量の調整が出来るので、慣れれば自分好みにも作れるのが嬉しい。

 マシンのお値段は、公式の一番高価な買切でも15000円程度だ。5000円のモデルや、競争率は高いらしいが実質無料のレンタルもある。
 カプセルの方は、スタンダードなコーヒーは一杯あたり約58円。ミルクカプセルを使用する(実質カプセルを二つ使う)ラテ系の最も高価なものが約123円。もちろんアウトレットやセール品を狙えば、もっと安くなる。

・カプセルの平均価格90円、マシン5000円と仮定
 90円×x杯+5000円=y
・コーヒーショップのテイクアウトを350円と仮定
 350円×x杯=y

 コーヒーショップでの購入と、自宅にドルチェグストを導入した場合の必要金額は、約19杯で釣り合うことが分かる。
 もっとも僕は、普段コーヒーショップのテイクアウトなどしないので、導入費用は純粋な支出の増加となる。
 また、この数式には「外出の必要がない」「自宅で熱々の出来立てが飲める」といったドルチェグストの長所、逆にコーヒーショップの「店舗さえあればどこでも飲める」等の長所が含まれていない。ただ、ヒキコモリの僕にとってはどっちがありがたいかなど考えるまでもないので脇にのけておく。

 マシンの大きさは、一人暮らし用の電気ポットよりは少し大きめ。
 裏技的な使い方として、カプセルをセットせずにボタンを押すとそのままのお湯が出てしまう。カップ麺を作るには量が少ないし、温度も低いのでお茶を淹れるのは難しそうだが、インスタント飲料を作る分には十分だ。
 このマシンをポット代わりに、普段は今まで通りのインスタント飲料を飲み、たまの贅沢としてカプセルを使う。そういう使い方も出来るのではないかと思う。

 というわけで、僕が下した結論は以下。

・一人暮らしなら迷わず導入する
・現在は実家暮らしでコーヒーメーカーもポットもあるので我慢

 なかなか切ない感じになってしまった。僕一人ならともかく、両親が使い慣れたものを押しのけてまで置くとなると話は別だ。
 便利なことには疑いの余地がないので、もしコーヒーメーカーが壊れたら、その時は代替品として提案したい。

 ちなみに僕のお気に入りは、ティーラテとカプチーノ
 今までは職場で飲むものと言えば胃に悪そうなコーヒーで、ミルクたっぷりのものが飲みたい時は砂糖もどっさり入ったコンビニ飲料を買うしかなかった。
 ミルクの甘みを感じられるノンシュガーの温かいものが飲めるというだけで、士気は全然違ってくる。高いものを飲ませて頂いている分、しっかり働いて返さなければという意識も生まれた。
 オフィスを構えておられる方は、是非導入を考えてみて欲しい。

本のための家賃数年分>電子化コスト

 手持ちの書籍のデータ化、いわゆる自炊を考えている。

 僕は実家暮らしの、もはや死語かも知れないがパラサイトシングルだ。お金のことを考えると、今後も可能な限り実家に置いてもらうのが賢明であろうとは思う。
 しかし仮に実家を出るとしたら、僕は子供の頃からしこたま溜め込んだ本をどうするのだろう? 全部持って行くとしたら、いくらくらいの家賃の部屋を借りれば良いのだろう? 見方を変えれば、僕はそれくらいの家賃が必要なところを、親の厚意に甘えて無料で済ませて頂いているわけである。

 僕の全ての蔵書を持ち込むためには、小さなウォークインクロゼット程度の空間が必要だ。調べてみると、平均的な一人暮らしの部屋の家賃より年間10~30万円ほど高くつくことが分かった。
 割高だろうとは思っていたが、数字にしてみると急激に実感が湧いてくる。頑張れば出せなくはない金額なのがまた生々しい。実家にそれなりに金を入れているとはいえ、こんな額のスペースを占領し続けるのは申し訳が無い。

 で、悩んだ末に、書籍の自炊を決めた。

 僕の本棚には、マイナーな漫画やライトノベルが多い。これらは発行部数が少ないため中古流通がなく、復刊などもまずあり得ない、一度手放してしまえば二度と読み返せないので、今も本棚に詰め込まれたままとなっている。
 逆に言えば、読み返すことさえ出来るのなら、僕はそれらが紙の本であることにはさほどのこだわりがない。本当に大切な、宝物のような一握りの本以外は、データ化してしまっても問題ないと判断した。
 実際、いつでも買い戻せるような一般書籍は古本屋に気軽に持ち込んでいるのだ(過去の書籍断捨離記事参照)。

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 僕は「いつでも読み返せる」ことは重視するが、「常に自分の書庫に置いておく」ことには執着がないのだろう。

 自炊の道具って高いんでしょ?と友人には聞かれた。しかし本の置き場を維持するためには年間20万円掛かるのだと思えば、数万円のスキャナなど安いものである。実際に電子化した後のことは、また改めて書きたいと思う。

生野菜はデブの食い物

 ダイエットのために生野菜を食べている、という人をたまに見掛けるが、僕は「ダイエットのために生野菜を食べる」という発想自体がデブのものであると思う。肉体は一時的に痩せるとしても、思考がデブのままである。
 彼らが何故生野菜を選択するのかと言えば、カロリーが低くてお腹が膨れるから。消化器が冷えて代謝が落ちるとか、食物繊維なら加熱調理した温野菜の方が豊かだとか、そういう事実は無視して、とにかく腹を満たすために生野菜を食べる。当然、他の食品を同じ量だけ食べればデブに逆戻りする。
 忘れているかも知れないが、我々の胃袋の大きさは、狩猟と採取で生きていた時代に定められたものだ。一度満たせばしばらくは絶食状態になっても大丈夫、というくらいの量が入るようになっている。それを毎日毎食いっぱいに、現代の消化の良い食べ物を詰め込むのでは、太って当たり前だろう。

 本当に痩せたければ、胃袋がいっぱいになる前に満足感を得る方法を見つけること。以下によく聞かれる例を挙げよう。

・自炊する
・少しずつ色んなものを食べる
・よく噛む
・人と話しながら食べる

 これは人によっても異なるので、「これさえしておけばいい」というような必勝法はない。僕の場合、人と話しながらだと話の方に集中してしまい、食べた気がしなくて逆効果である。ここは自分に合う方法を模索するべきだ。
 もちろん最初は量もないと満足出来ないだろうから、「とりあえず生野菜」を併用することは好ましい、とは付け足しておく。

 それから、栄養の勉強はしておきたい。
 一日当たりの必要栄養素を把握しておけば、心の原始人が「腹いっぱい食わせろ!」と暴れ出した場合でも「必要な栄養素は摂っている」と文明人の余裕をもって対処が出来る。適正カロリーを超えない範囲なら何を食べても良いので、ガチガチの食事制限と比べれば食生活はずっと豊かだ。

 以上、身長172cm、体重60kg、食べたい時にケーキを食べる三十路の一意見でした。

 

過去にも似たような記事書いてる。

 

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夏だ! 海だ! 冒険だ!

今週のお題「読書の夏」

 読書ならいつでも出来るし、海だって一年中同じ場所にある。
 それでも日差しから逃げるように入った書店で、この本を選んだのは何故だろう。夏休みのワクワクする感じが、冒険ものを選ばせるんだろうか。今の僕には冒険どころか夏休みもないのだが。

 キャンプに出航する前夜、少年たちだけを乗せた船が沖に流されてしまう。漂着した無人島での一年と少しの期間を描いた物語である。
 「二年間の休暇」の方が現題に忠実ではあるが、僕が初めて読んだ本も「十五少年漂流記」という邦題になっていた。原題だと「子供が出て来る冒険もの」ということは全然分からず、8歳そこいらの僕では手に取らなかったと思う。本の題は難しい。

 さて、主人公の少年たちは、僕たちが思い描く少年像からは少々隔たっているのではなかろうか。
 英語に難ありながら人望厚いフランス系少年がリーダーシップを発揮し、奨学生として援助を受けている孤児のアメリカ人が共同生活のルールを作り、銃による狩猟を嗜む英国貴族がおり、炊事場で見習いをしていた黒人もいる。
 これが人種の縮図であるとの巻末の解説にはいたく納得した。と同時に、現代日本の成人が15人束になっても、彼らのようには生きて行けまいと思った。

 子供の頃から、僕は物語が虚構であるということを知っていた。
「現実はこうは行かない」
 ここ数年は、尚更骨身に沁みるようになった。「いつかこんな冒険に出られるかも知れない」、そういう無責任な期待を持てる年齢ではなくなってしまったのだ。少なくとも僕には、猟銃で野鳥を撃ち落とすことは出来ないし、リーダーシップなんてものも持ち合わせていない。

 じゃあ夢も希望もなくなったのかというと、そうでもない。待っていてもそんなことは起こらないが、今の僕には成人の行動力がある。
 物語の中の少年たちに倣うなら、知らない人と話をする、勉強をする、銃を撃つことは日本では難しいが不可能ではないし、ありあわせの食材で料理を考えるのもいい。仲間と何かをするのも、知らない土地に行くのも良いだろう。
 物語のような状況なんて現実にはあり得ない。けれど、物語の要素を分解して現実に持ち込むことは出来る。虚構の世界を醒めた視点で分析してしまう大人だからこそ、それが出来る。

 考えてみれば、「はじめてのおつかい」は冒険だった。行き先が親とよく来ている馴染みの商店であろうと、大冒険だった。冒険って、実は「ドキドキする初めてのこと」の別名なんじゃないかと思う。
 今の僕は牛乳を買うことには慣れてしまった。一ヶ月もの夏休みだってない。今年は海にすら行けないだろう。
 けれども書店から一歩踏み出せば、クーラーで冷えた肌に熱気は心地よく、疲れているはずの足は軽く感じられた。この本を初めて読んだ8歳の頃、僕にとっては世界中のあらゆることが冒険だった──読了して当時の気持ちを思い出したら、僕も新しい冒険を始めようと思う。夏休みはないけどな。

本の手放し方

 オタクの例に漏れず、僕の部屋には物が多い。人並み以上の本とゲーム、ここに人並みの生活用品が加わるのだから、それはもう部屋が汚い。
 掃除はしているし、湿気たり腐ったりするようなものは絶対に放置しないから不潔ではないと思う。少なくともゴキブリが出たことはない。だが、収納スペースの容量を完全オーバーしているのだから見た目が汚い。

 ところで僕は最近、一年は365日しかないということに気付いた。一日一冊のペースで本を読むとすれば、一年で読める本は365冊だけだ。学生時代なら一日に複数冊読むこともあったけれど、今は文庫本一冊に2~3日は掛かる。
 ということは、今の部屋にある本を全部読み返すには何年掛かるのだろう……新しい本は今後も増えて行くのに?

 人生の残り時間から計算すると全てを読み返すのは不可能であるという現実にぶち当たり、僕は今、猛烈な勢いで本を下取りに出している。誰かの手で再び開かれる日が来れば良いと思う。

 断捨離式片付け法では「ときめかないものは捨てる」というやり方を紹介していたけれど、本はそもそも内容に興味を覚えて買って来たものだ。タイトルを目にすれば、読んだ時の楽しさを思い出してときめいてしまい、当然本は減らない。

 そこで僕は、独自の書籍用断捨離ルールを設定した。

・面白くても文体が好きじゃない
・いつでも買える著名作
・読み返したいと思っていても、具体的にどういう時に読み返すのかピンと来ない
・今すぐ必要でない資料・実用書
・内容を思い出せる教養新書

 以上の本は全て手放す。
 面白かったせいで手放せないのだから、面白さを基準に含めてはいけないのである。お陰様で随分と数が減った。

 逆に、手放さないと決めているものもある。

・書籍それ自体に愛着がある
 小学生の頃に100円玉を握りしめて買いに行った児童書とか、人に探してもらったとか、読み物としての価値とは無関係に大切なものだ。僕が死んだら棺桶に詰めて頂きたい。

・必ず読み返すという確信があって、再入手が困難そうなもの
 お気に入りのマイナー本や漫画がこれに当たる。
 今は絶版本の電子復刊が珍しくないのでタブレットに置き換えたいのだけれど、紙の新刊と同等の価格のものも多くて経済的に無理がある。電子化代行サービスについても調べてから、手放すかどうか決めようと思う。

・通常版を持っているのに愛蔵版を買ってしまった
 普通に考えれば「どっちか要らんだろ」と思われるだろう。しかし困ったことに、通常版のオマケページやカバー裏が愛蔵版には入っておらず、愛蔵版には発行記念の書き下ろしが載っているなんてのもよくある話だ。どちらかを手放すとしたら、どちらを手元に残した方が後悔しないだろうか。
 それ以前に購入の時点で、ダブることは覚悟しているのである。覚悟の上で買ったということは、かなり好きだということ。
 今は汚いなりに部屋に収まっているから、これで迷う時間があったら他をぱぱっと箱詰めした方が早く片付く、という考え方をしてみた。

・途中で読むのをやめてしまった
 これを「つまんなかったんだろ」と一蹴するのは早計である。体調が悪かったり忙しかったり、内容とは無関係な理由で積んでしまった本もあるからだ。
 とりあえずめくってみて、今の自分でも興味が持てそうなものは残しておくことにした。

 処分の大規模さに反して、使っているのは宅配買取サービスの一番小さい箱だ。
 僕は好きじゃないことに関してはものすごく気が散りやすくて、大掃除というものが出来ない。部屋の物を仕分けして、必要なものだけを収納スペースに入れる、この一連の流れの途中で必ず力尽きる。仕分け以前に一旦取り出したところで飽きてしまい、全部を床にぶちまけた状態で投げ出してしまったこともある。
 だから今回は、目に付いた本を毎日少しずつ詰めて、箱が一杯になったら送り出すことにした。送料が無料なのだから、無理に一つにまとめる必要はない。いい時代になったものだと思う。

 自分の性格と、時間と、出来ることと出来ないこと。それらを把握してから方法を考えれば、カオス化していた部屋の片付けだって出来てしまう。他のことにも応用出来れば、もう少しスマートに生きられそうだ。

脱ニートの時に考えたこと 今の僕のこと

 27歳まで、僕は引きこもりのニートだった。
 この記事は社会復帰を果たした僕から、少し前の僕と、引きこもりのニートを脱したいあなたへ宛てたお手紙です。人間が怖くて、体力がなくて、趣味はオタ系しかない、それでも社会復帰したい、そんな人へのお手紙。

 しかし、まずは。
 ニートというのは無職かつ働く意思がない人のこと。働きたいと思った瞬間に脱ニートは完了である。おめでとうございます。
 問題は、脱引きこもりと就職であろう。

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