004 夜明けという名前
エントリ数的には、まだ自己紹介をしていても許されるだろう。ブログ名とHN、僕の本名の話をしようと思う。
あらかじめ断っておくと、あけやは女性である。一人称が「僕」である理由は、やっぱり後日、一つの記事を作りたい。
僕の本名は少々古風だ。祖父母の世代には受けが良いが、両親の世代ではダサいと感じる人も多いようだ。幼い頃は周りの子供に笑われたりもした。
漢字は夜明けにまつわるものを当てている。暁、曙、旭──「夜明け」を類語辞典で引くと、女の子の名前に使うには少々いかつい文字ばかりが並んでいる。
響きが古いと言われ、漢字が可愛くないと言われ、それでも僕が僕の名前を好きになったのは名付けの由来を聞いた時だ。
我が家の両親はヨーロッパかぶれで、特に父は外国語で飯を食っており、外国人の友人も多い。母方の祖父は、初孫である僕の名前が「まりあ」「えりす」のようなものになるんじゃないかと気を揉んだそうである。
いや、例に挙げた名前は今時珍しくも痛くもないと思う。むしろこういう名前なら、バカにされることはなかったのだろう。ただ、世界大戦の時代を生きた祖父にとって好ましく思えない名前であったことはご理解頂きたい。
それがどうしてコテコテの、時代遅れ気味の日本人名になったのか。
「外国の友達に、『娘の名前は日本ではこういう意味なんだよ』って自慢したくてなぁ」
ヨーロッパかぶれも一周するとこうなるのか……と我が父ながら感心したことを覚えている。
かくして僕は、相手の国籍を問わず意味と由来を説明出来る名前を頂戴した。経緯を知ってからは自慢の名前になった。
だからずっと、ハンドルネームは本名に同じく夜明けに関係したものを使っている。今回のブログも例に漏れずということで、このタイトル、このハンドルである。
とはいえ子供心に、自分の名前に対して不安がなかったわけではない。
「僕の人生の夜明けはいつ来るの? 死ぬまで夜明け前の薄闇なの?」
27歳までニートをしていたのだから、その不安は的中したと言えよう。
闇を払う太陽のようであれと願って付けられた名前だろう。込められた願いを裏切ったのは僕だろう。そろそろ名前負けを自覚して、地平線の下から這い出なければ。