夜明けはいつになりますか

ゲーム畑在住アラサーオタク女、ニートからの社会復帰一年生による思考記録。

005 身の丈を弁える

 長身の定義は人によって違うだろうが、女性の身長172cmは日本人なら誰もが認める長身であろう。
 僕はその背丈で生活をしている。足元に視線を向けられ、ヒールを履いていないと分かって二度見されるなんてことがよくある。身長が165cmもあるからヒール履きたくないの、なんて言葉を耳にすると、じゃあ素足でもそれより高い僕の立場はどうなるんだと思う。

 服を試着してサイズが合わない悲しみは誰しも知っているだろう。しかし僕の場合は気に入ったデザインの服が9割方着られず、背丈相応の足のサイズでは服に合う靴も見つからない。頭の中には「着るものを買いに行く=悲しい思いをする」という公式が刷り込まれてしまい、買い物に行くのが億劫になった。髪が伸びると自分の体積が増すような気がして、素っ気のないショートヘアにした。
 「藤原紀香なんかスゴく格好いいじゃん、あけやも頑張りなよ!」等と激励されても、あれだけ情熱を注げば身長とは関係なく綺麗になれる気がするのは僕だけだろうか。

 服を買おうにも売っていない──正当な理由でファッションに無頓着でいられるのは身軽である。「私の方が可愛い」という女性特有の水面下の死闘に巻き込まれることもなく、と言うか根本的に同じ土俵に立っていると見做されていないように思う。

 この背丈のもう一つのメリットは、電車の中で足を広げて座る男性に対する「小せぇ男が短ぇ足広げてんじゃねーよ」というツッコミの破壊力が増すことだ。実際にそうしている人に向かっては流石に言わないが、知人に釘を刺す際には五寸釘ばりの威力を誇る。

 自分自身を含め、僕が知る長身の人々は押し並べて控え目である。「内向的」とは限らず、どうせ目立つのは一緒だから好き勝手するぜヒャッハー!というタイプは結構いるが。
 そう、彼らにとって「目立つのは当たり前」──だからぐいぐい前に出たりはしない。好きなことはヒャッハーやっちゃうけれど、それは自己主張とは少し違うのである。ファッションなんぞ悪目立ちしなければ充分。人よりも場所を取ってしまうと分かっているから、電車の中では膝を揃えて座る。

 他者からの注目を誰もが求める時代だけれど、人と違うってのは良いことばかりじゃない。街中で鏡を見る度、人ごみから浮いている自分自身と顔を見合わせては肩をすくめる僕である。