夜明けはいつになりますか

発達障害持ちゲームオタク、社会からドロップアウトするの巻

悩みと願い事に利くおまじない

 「塩まじない」と「願い事手帳」をやっている。

 このブログの文体とは、ちょっとイメージが違うかも知れない。実際僕は七夕の短冊に夢のない願い事しか書かないタイプだが、しかし自力ではどうにもならない状況というのはあるもので、そんな時に辿り着いたのがこの二つだった。

 「塩まじない」は簡単なお祓いだ。困りごとを書いた紙に塩を包んで燃やし、灰を水に流す。燃やすのが面倒なら、トイレットペーパーに書いて塩を包んで流すだけでもいい。トイレットペーパーではありがたみも何もなさそうだが、要は水に流せる紙、ということだろう。
 紙には事実だけ、例えば隣人がうるさい時は「騒音がひどい」とだけ書き、「~で困っている」のような自分の感情については書かない。

 「願い事手帳」は名前の通り、自分の願い事が叶った状態をひたすらノートに書き出す。人には見せないし神様にお願いするわけでもないので、現実的に叶うかどうか、分不相応ではないか、そういうことは気にせず書く。ただし負の言葉は決して書かない。例えば人間関係で悩んでいる場合、「~との仲がうまく行っていない」等は書かず、「人間関係が円満になった」と願い事が叶った後のことだけを書く。

 細かな方法と注意点は然るべきサイトを検索して頂くとして、どうして僕がこれをやっているのかをお話ししよう。

 この二つはそれぞれ、文字を書き出して行うおまじないである。
 塩まじないの文章には事実だけを書き、感情を交えてはいけない。つまり悩みの種を、客観的事実として見据えることになる。冷静になれば対処法を考えられるかも知れないし、どうしようもないと分かればスッパリ諦めておまじないに頼ってしまえばいい。
 逆に願い事手帳は「こうなればいいのに」という願いだけを書き、そこに至るまでの過程と障害は全て無視する。自分の願望を自覚すると、脳はそれを満たすために猛烈な情報収集を始めるのだそうだ。でも放っておくと、「どうせ叶うわけがない」という無意識が情報を無駄なものとして捨ててしまい、願い自体も忘れさせてしまう。一度明確な言葉の形を得た願いは頭の中で漂っているだけの欲よりも強い、というのはお分かり頂けるだろう。手帳を読み返さないとしても、書き出す行為自体が脳に「これに関係することは忘れてはいけない」と教えてくれる。

 だから僕は僕の悩みを現実的に考えるために、僕の脳が望みを叶えるための手掛かりを捨ててしまわないように、このおまじないをするのである。

 実際の効果のほどは分からないけれど、悪いことは燃やして流して、叶えたいことは手元に書き留める。それだけでも十分、心は安らかになるように思う。