夜明けはいつになりますか

発達障害持ちゲームオタク、社会からドロップアウトするの巻

夏だ! 海だ! 冒険だ!

今週のお題「読書の夏」

 読書ならいつでも出来るし、海だって一年中同じ場所にある。
 それでも日差しから逃げるように入った書店で、この本を選んだのは何故だろう。夏休みのワクワクする感じが、冒険ものを選ばせるんだろうか。今の僕には冒険どころか夏休みもないのだが。

 キャンプに出航する前夜、少年たちだけを乗せた船が沖に流されてしまう。漂着した無人島での一年と少しの期間を描いた物語である。
 「二年間の休暇」の方が現題に忠実ではあるが、僕が初めて読んだ本も「十五少年漂流記」という邦題になっていた。原題だと「子供が出て来る冒険もの」ということは全然分からず、8歳そこいらの僕では手に取らなかったと思う。本の題は難しい。

 さて、主人公の少年たちは、僕たちが思い描く少年像からは少々隔たっているのではなかろうか。
 英語に難ありながら人望厚いフランス系少年がリーダーシップを発揮し、奨学生として援助を受けている孤児のアメリカ人が共同生活のルールを作り、銃による狩猟を嗜む英国貴族がおり、炊事場で見習いをしていた黒人もいる。
 これが人種の縮図であるとの巻末の解説にはいたく納得した。と同時に、現代日本の成人が15人束になっても、彼らのようには生きて行けまいと思った。

 子供の頃から、僕は物語が虚構であるということを知っていた。
「現実はこうは行かない」
 ここ数年は、尚更骨身に沁みるようになった。「いつかこんな冒険に出られるかも知れない」、そういう無責任な期待を持てる年齢ではなくなってしまったのだ。少なくとも僕には、猟銃で野鳥を撃ち落とすことは出来ないし、リーダーシップなんてものも持ち合わせていない。

 じゃあ夢も希望もなくなったのかというと、そうでもない。待っていてもそんなことは起こらないが、今の僕には成人の行動力がある。
 物語の中の少年たちに倣うなら、知らない人と話をする、勉強をする、銃を撃つことは日本では難しいが不可能ではないし、ありあわせの食材で料理を考えるのもいい。仲間と何かをするのも、知らない土地に行くのも良いだろう。
 物語のような状況なんて現実にはあり得ない。けれど、物語の要素を分解して現実に持ち込むことは出来る。虚構の世界を醒めた視点で分析してしまう大人だからこそ、それが出来る。

 考えてみれば、「はじめてのおつかい」は冒険だった。行き先が親とよく来ている馴染みの商店であろうと、大冒険だった。冒険って、実は「ドキドキする初めてのこと」の別名なんじゃないかと思う。
 今の僕は牛乳を買うことには慣れてしまった。一ヶ月もの夏休みだってない。今年は海にすら行けないだろう。
 けれども書店から一歩踏み出せば、クーラーで冷えた肌に熱気は心地よく、疲れているはずの足は軽く感じられた。この本を初めて読んだ8歳の頃、僕にとっては世界中のあらゆることが冒険だった──読了して当時の気持ちを思い出したら、僕も新しい冒険を始めようと思う。夏休みはないけどな。