夜明けはいつになりますか

発達障害持ちゲームオタク、社会からドロップアウトするの巻

奇人変人オンリーの学級で個性全開で学んだ時のこと

 高校生の時、僕は理数系特別クラスに所属していた。全員が卒業研究を抱え、ジュニア学会のようなイベントへの参加は必須、大学の講義を受け、研究施設の見学にも行く。

 ……というエリートっぽいカリキュラムは事実の一側面に過ぎない。

 受けたい講義があって大学に行く以上、他人と合わせては本末転倒、原則は個人行動である。高校の校舎には週の半分もいないので、部活も他クラスの友人との付き合いも出来ない。生徒会会議にも参加出来ず少人数であるため、学校行事では常にないがしろにされた。そうでなくとも国際科学交流会に向けた英文パネル作成とスピーチ原稿の暗記に必死だというのに、文化祭の劇の準備なぞクソ食らえであった。
 結構な数の学生が、そんな環境に耐えられず普通のクラスに戻って行った。3年生まで残ったのは普通のクラスで浮いている、クラスが丸ごと浮いていても問題がないイロモノばかりである。

 窓際のくすぶり、自己主張の激しい悪目立ち。方向性の違うはぐれものは、一つのクラスの中でも当然てんでばらばらに好き勝手していた。しかし意外なことに、僕らはクラスとしての仲が良かった。

 自分の世界を最優先とする残念な人間は、一丸となって頑張ろう!などと時間の用途を勝手に決められることが大嫌いだ。だがそんな人間ばかりが集まると、それぞれの世界を持ち、時として一人で篭もることを許し合える。互いが良き理解者であり友人だった。
 そうでなくとも全員が変人であるため、同調しなくても後ろ指を指されない、と言うか同調したくても多数派の基準となる共通点がなかった。折り合いの悪い者同士は当然居たが、一対一ではどちらが正しいという話にもならず、あらゆる差異は容認され共存していた。
 かくして出来上がったのが「お前が好きそうな記事があったから持って来た」「そういう話はあいつが詳しいはずだから聞いてみよう」等の会話飛び交う、方向性はバラバラのくせに妙に結束の固いクラスである。卒業研究は特別クラスの花であり、授業の中に進捗報告会も含まれていたので、それぞれの求めている情報が把握され交換されていた。

 皮肉にも僕らは、「同調を求めないこと」が出来ない人間を排斥することで結束を得たのだ。
 みんな自分の道を突っ走っているのに。お前はどうして同じように出来ないの。どうしてみんなの邪魔をするの。
 最初の一文を「みんな一緒に頑張っているのに」に置き換えれば、僕らが普通のクラスでずっと聞いていた無音の言葉になる。少数派の価値観の人間が集まることにより、本来多数派であるはずの人間が排斥されるという逆転現象が起きた。

 僕はこのクラスでの経験から、排斥する側が正しいわけでも、される側が間違っているわけでもないと確信を持った。ただ譲れない領分があるだけ。そして距離を置くためには、少数派が出ていくことになるのだろう。
 違うこと、少数派であることは悪いことじゃない──よく聞く言葉の割に実感を持っている人は少ないんじゃないかと思う。少数派として多数派を排斥する経験なんて、滅多に出来ることではないだろうから。

 どっちも間違っていないなら、僕が譲ってあげれば良い。自信があるから曲げられる。
 そういう風に考えられるようにしてくれたクラスメイトとの、忘年会を兼ねた同窓会が近い。今年はどれくらい我が道を突っ走って来たのか、みんなの報告を楽しみにしている。

 尚、本日の記事のタイトルはこちらを元ネタとさせて頂いた。
発達障害者ONLYの職場で能力全開で働く人たちのこと - Togetterまとめ
 僕らのクラスもそうだったんじゃないかなぁ。特別カリキュラムをこなせる程度のオツムはあるから、後天的学習により多少の処世術も身に付けてはいたというだけの話。