夜明けはいつになりますか

ゲーム畑在住アラサーオタク女、ニートからの社会復帰一年生による思考記録。

主婦という名の孤独な戦士

 我が家の母は専業主婦だ。そしてすげぇ働き者である。
 朝は早くに起きて美味しいお弁当を作り、夜は帰りが遅い家族を待つ。別の家族が翌朝早い場合は、その見送りのために「ごめんね、先に寝ます」と書き置きをして眠る。どんなに忙しい日でも一日の食事は最低15品目、平均は20品目以上。晴れた日には必ず布団をお日様に当て、簡単な服なら自作してしまう。
 我が家の場合は自家用車がないことも挙げておかねばなるまい。「車なしで暮らせるの?!」と驚かれる程度の田舎で、母は家族四人分の食料を自転車で買い出しに行く。流石に米なんかは、御用聞きや協同組合の宅配のお世話になっているが。

 これらを有料サービスで代用するとしたら、自動車を一台購入して運用するだけでも、結構な額のお金が必要になるだろう。母の労働はこのコストをゼロにしているのだから、彼女のお陰で我が家が自由に使えるお金は増えているわけだ。言い換えれば、豊かさが増している。
 我が家の暮らしを豊かにするべく毎日真面目に働いている母は、本当に立派な「職業:専業主婦」だと思う。

 そこまでやらない主婦の方が多いというのは、何となく聞いているし察しているが、彼女らのことをどうか責めないで欲しい。僕も主婦をやったことがないので、的外れかも知れないけれども。

 人間のモチベーションの高さは、自分の行動の結果に対する期待値と等価である。これをやり遂げたらお金が得られる、感謝して貰える、仲間と笑える──内訳は様々だろうが、行動の先に見返りがあるから頑張れるのだ。
 外で働いている場合、誰にもありがとうと言ってもらえなくても、やったことに意味があるから給与が支払われる。薄給だけどお客様の笑顔が好き、という逆のパターンもよく見る。誰かの役に立っていると実感する仕組みがある。

 だが主婦の職場は、どれだけ頑張っても昇進も昇給もない。協力出来る同僚もいなければ、大きな物事をやり遂げる達成感もない。ひょっとしたら感謝の言葉すら無いかも知れない。
 怠惰なわけではないのだ。労働と報酬の繋がりが感じられないから、脳が勝手に無駄な労力は使いたくない、やる価値のない作業と判断してしまうのである。

 夫の皆様、妻にはお金を渡しておけばいいというものではないのです。働いたことに対して「ありがとう」と一言の報酬があれば、それが仕事に対する評価として認識されるなら、次も頑張ろう、次はもっと頑張ろう、と思えるようになるのです。逆もまた然りで、どれだけお金を渡されても労働の対価と感じられないのであれば、それは働き甲斐にはならないのです。

 我が家の父はお礼をあまり言わない。でも、母が作ってくれたご飯が美味しいからと言ってあまり外食をしない。家族旅行の度、お母さんが倹約してくれてるから行けるんだと言う。結婚記念日には花束を買って来る。
 母が勤勉な主婦でいられるのはこの人のお陰なのだろう、としみじみ思う僕である。