夜明けはいつになりますか

ゲーム畑在住アラサーオタク女、ニートからの社会復帰一年生による思考記録。

女という性別、僕という一人称

 このブログで、僕は「僕」を一人称として使っている。

 理由は簡単、自分自身の性別に自信がないから。戸籍上の性別も、肉体も女なのだが、僕は僕の性別に自信がない。

 性同一性障害、ではない。女の肉体に不満はないから、トランスセクシャルではない。また、女性として扱われることが不快ではないので、トランスジェンダーでもない。ただ時々、猛烈な違和感を抱いてしまう。それでTSとTGの区別が付く程度には調べてしまった。

 じゃあどうして「僕」なのか、それは男性の一人称じゃないのかと問われると確かにそうなのだけれど。
 関西での「僕」は極めて一般的な言葉だ。地域によっては未熟な男性の象徴とも聞くが、少なくとも僕はそのようには感じない。また多少の丁寧さを伴う言葉でもあり、目上の人に対して使っても基本的に失礼には当たらない。かしこまった場面ではもちろん「私」だが、目上の相手でも格によって更に言葉を使い分ける──同級生との会話では「俺」で構わないが、部長との会話では「僕」、社長とお客様にだけは「私」を使う、と表現すれば伝わるだろうか。
 そんなわけで日常会話において、「私」はほぼ女性専用の一人称である。「俺」は言わずもがな。中間を取ろうとすると「僕」ということになる。

 性別に自信がないってどういうことなの?という疑問を抱く方にはあえて問いたい、「肉体から性のシンボルを切除した時、あなたは胸を張って己の性別を語れるか」と。生殖機能の雌雄は、あなたの人格の性までもを定義しているのかと。
 僕の場合、肉体が女性であることにさほどのこだわりはないのだ。乳房を切除することになったら、もちろん肉体の一部を失う喪失感はあるだろうが、それ以上の感慨は抱かないだろうと思う。
 さりとて男性になりたいわけでもない。僕の肉体は生まれた時からこの状態なので、あえて別の形に変形させたいとも思わない。背はちょっと縮めたいけど。
 要するに、肉体の性別がどちらであろうと僕は困らない。どっちでもいい、どうでもいいようなものを、自分の肩書の一つとして挙げてしまって良いのだろうか……このふわっとした居心地の悪さをいくらか和らげるため、僕は「僕」という一人称を使う。

 とはいえ流石に、声に出すのは家族や親しい友人の前だけだ。自分の思考を吐き出す当ブログでは、基本的に「僕」を使って行きたいと思う。

追記:ブログ紹介に性別を明記してあるのは、多分読み手さんが真っ先に気にする要素だと思われること、僕も思考は女性寄りであることから。オタクとしては男性キャラにハマることが圧倒的に多いのだが、これは微妙に別の問題も孕んでいるのでまた後日。