夜明けはいつになりますか

発達障害持ちゲームオタク、社会からドロップアウトするの巻

半沢直樹が欲したもの

 昨日はお題記事だったのでさらっと流したけれど、当ブログは毎日更新ではない。ということにしようと思う。第一の目標は己の興味関心を書き留めておくことなのだから、それ以外のことで気負っても仕方があるまい。

 本日はタイトルの通り、倍返しのドラマの最終回を見て以来ずーっと考えていたこと。

 土下座って、そんなに屈辱的かぁ?

 これである。

 頭を下げるという動作の意味については勿論心得ている。敬意、感謝、謝罪、理由がいずれにせよ相手より低い位置に小さくなる、下の立場であることを示す行為だ。
 しかし「相手が自分より小さい」ことで満たされる自尊心は、動物的本能に基づいた卑小なものでしかない。少なくとも僕はそう思う。
 我々人類は、肉体の強度ではなく知恵によって繁栄した動物ではなかったか。ならば問われるべきは知能と精神の在り方であり、体の大きさ、頭の高さなど些細な問題であろう。どれだけ額を地面に擦り付けたところで、頭蓋に詰まった脳味噌の値打ちは変わらないはずだ。
 付け加えるなら、土下座にはお金も掛からない。精々膝が汚れた服をクリーニングに出すくらいで、それで相手の溜飲が下がるなら字面通りの安いものである。
 時間的にもまさか24時間は越えない。土下座をして何が困るんだ、本当に不思議に思う。逆の立場になれば、土下座をさせて何が嬉しいんだ、とも。

 ただ、半沢氏は相手に土下座をさせたかったわけではなさそうだ。彼の目的は「倍返しだ!」の台詞に象徴される復讐であり、そのために相手が最も屈辱を感じるであろう状況を作り出したまでのことである。
 もし報復の相手が僕みたいな思想の持ち主で、「土下座? あなたの気が済むならいくらでも、なんなら靴も舐めとく?」等と言い出したら、彼はどういう戦い方をするのだろう。ドラマ映えしないことは想像に難くないが、非常に興味がある。原作を読んでいないので、そういうエピソードもあるのだったらごめんなさい。

 また、土下座自体では人の値打ちは下がらないが、本来は誠心誠意を示す姿勢である。感謝にしろ謝罪にしろ、誠意の大安売りはその人の値打ちを下げる。決して気軽にしてはいけない。また、そのような形で誠意を示された際には、きちんと受け止めなければならない。
 土下座を要するほどの謝罪をしなくて済むように、感謝は土下座よりも相手が喜ぶ方法で伝えられるように。心の隅に留めて生きて行きたい。